日本では年中行事になったクリスマス。ハロウィンが終わると街はクリスマスに向けてイルミネーションやクリスマス飾りで賑やかになり、クリスマス用品が売り出されます。
クリスマスツリーを飾ったり、プレゼントを準備したり、ケーキやご馳走を注文したりと、お正月に並ぶくらいのビッグイベントになっていますが、日本では、クリスマスのイベントをいつから行なっているのでしょうか。
キリスト教でもないけど、なんかクリスマスが近づくとウキウキするし楽しいからいっか~とクリスマスを楽しんでいる人も多いのではないでしょうか。
ここでは、いつどのように日本でクリスマスのお祝いが始まって、現在に至るのか、日本のクリスマスの歴史について解説していきます。
そもそもクリスマスって何の日?
クリスマスはキリストの降誕祭です。キリストの誕生日だと思っている人が多いようですが、実はキリストの誕生を祝う日であって、誕生日ではありません。紀元元年12月25日にイエス・キリストが誕生したという確証はありません。
日本にクリスマスが伝わったのはいつ?
16世紀後半から日本はヨーロッパの国々と貿易が盛んに行われるようになりました。日本にはじめてキリスト教をもたらした宣教師たちが書き残した書簡などから、その当時クリスマスを行っていたことが分かります。
最初に日本にキリスト教をもたらしたのは、1549年に来日したイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルというのは小学校で習うので、皆さん知っていると思います。
当然ザビエルは、クリスマスを日本でもお祝いしていたと考えられますが、残念ながらその記録は残されていないようです。
ザビエルが日本を去った後、ザビエルと共に布教活動をしていたイエズス会のコスモ・デ・トルレス司祭のもと、周防(山口県)で、1552年12月25日に行われたという記録が、残っているもっとも古いもののようです。
日本でクリスマスが始まったのは、イエズス会の宣教師が来日した頃からと考えられます。
キリスト教が禁止されるが密かに祝うクリスマス
キリスト教は九州から始まり、近畿、京都と広がりを見せ、九州の教会では日本人信徒による聖書劇が演じられたり、京都では聖書劇を狂言などを取り入れたりと、キリスト教が受け入れられるようになっていきます。
戦国時代に突入し、イエズス会員たちは織田信長によって保護されました。その後豊臣秀吉により、1587年(天正15年)にバテレン追放令が発令されましたが、しばらくはキリシタンたちは自由に活動が続けられていました。
しかし、1614年(慶長19年)に江戸幕府がキリスト教を禁止する法令を出し、それからキリスト教は徹底的に弾圧されることになります。
徳川時代はキリスト教は禁止されましたが、密かに隠れて信仰を守りつづけていた「隠れキリシタン」がいました。1865年(慶応元年)に発見されるまで、なんと200数十年間、クリスマスのお祝いに相当する行事が行なわれていたようです。
クリスマスのお祝いと分からないように「御産待ち」「御誕生」「霜月の祝い」「霜月どん」など、地方や集団によって様々な呼び方に変えて、行なっていたようです。
また、日本が鎖国を行なっている間、長崎港が唯一の国際港となり、中国とオランダの船のみが入港の許可が与えられました。唐人(中国人)は冬至の日に一陽来復を祝って「唐人冬至」という行事を行っていました。
この行事は、ちょうどクリスマスの時期に重なっていました。出島に居住するオランダ人は、キリスト教を公にはできなかった為、唐人冬至をまねて「阿蘭陀冬至」という名目で、クリスマスをひそかに祝っていました。
再び大々的にクリスマスが行なわれる
ペリー来航によって再びクリスマスが広まる
江戸幕府は黒船で来航したアメリカのペリーによって開国を迫られ、1854年に日米和親条約が締結します。その後、1858年、日米通商条約が調印され、居留アメリカ人の信仰の自由が認められ、徐々に外国人が日本人と雑居することも認められました。
それから日本人は欧米人のクリスマスの様子を間近で目にするようになっていきました。
1873年(明治6年)にようやく、キリスト教禁止の高札が撤廃され、日本で公然とキリスト教の布教が再びできるようになり、再びクリスマスのお祝いも広まっていきます。
初めて日本の物語にサンタクロースが登場する
1898年(明治31年)に、子供向け教材として「さんたくろう」という読本が刊行されます。表紙の絵には、左手に杖を持ち、右手でクリスマスツリーを抱え、トナカイではなくロバを従えたサンタクロースが描かれています。
そして、サンタクロースには北国の老爺(おやじ)『三太九郎』という日本名が記されています。
ストーリーは『旅人のおじいさんを少年が助けて、クリスマスイブの夜に、そのおじいさんが、たくさんのプレゼントを持って少年の所にやってくる』というもので、日本の昔ばなし『笠地蔵』と同じような内容です。
メイドインジャパンのグッズがナンバーワンになる
明治30年ころには、本格的にツリーが神戸で生産され始めます。その後、日本の技術を応用したクリスマス用品が、外国人に珍重され、輸出されるようになります。
第一次世界大戦で世界が混乱する中、ドイツに代わって日本がクリスマス生産国ナンバーワンになったようです。さらに大正時代になると、アメリカからのクリスマス用品の発注が本格化して、日本経済の外貨獲得の一翼を担う輸出業になりました。
明治屋が日本のクリスマスの火付け役?
日本で最初にクリスマス飾りを行なったのは、銀座にある明治屋です。ロンドンへの留学経験がある明治屋の創業者が、ロンドンの商店街で眺めたクリスマス飾りを持ち帰り、取り入れたアイディアのようです。
また、輸入商品や食品を販売していた明治屋では、当時なかなか日本では手に入らなかった舶来品が売られていたので、贈り物としても珍重されていました。
大正時代のクリスマスは?
大正時代になると、児童向けの雑誌や少女雑誌でクリスマスのお話や挿絵がたくさん導入されるようになります。日本文学でも取り上げられるようになります。
大正後期から昭和初期にかけては、ジャズのリズムに合わせて踊るダンスが流行し、仮装などをして忘年会にクリスマスを取り入れて、西洋の雰囲気を楽しむ人が多く見られたようです。
明治時代に外国人の客のために帝国ホテルで開かれていたクリスマスのダンスパーティーも恒例行事となり、外国人客だけでなく、日本人客も増えていきました。
大正15年12月25日に大正天皇崩御には、クリスマスのお祝いは自粛されましたが、昭和2年から12月25日が大正天皇祭として国民の祝日になり、その後のクリスマスの普及にさらに影響を与えたと考えられます。
戦時下から戦後のクリスマス
戦争により再びクリスマスが禁止される
昭和12年(1937年)に日中戦争に突入すると、世相は一変し、警察によるクリスマスの取り締まりや、クリスマス禁止運動が行われるようになりました。
第二次世界大戦に突入すると、閉鎖に追い込まれる教会もあり、宣教師やキリスト教主義の学校の教師たちは国に帰ることを余儀なくされました。
映画、音楽、カタカナなど欧米のものも禁止されるようになり、ラジオからクリスマスの音楽が流れることもなくなりました。
GHQによってクリスマスが盛大に行われる
戦争の終結後は、マッカーサー率いるGHQに日本は占領されました。クリスマスには、占領軍が、総司令部として使われるようになった第一生命のビル正面に大きなクリスマスツリーを立て、ライトアップをし、クリスマスの飾りつけを行なったようです。
そして、GHQから占領軍兵士が故国へクリスマスカードを贈るために、全国紙製品統制組合に製造を命じたり、玩具協会に戦勝国向けの玩具製造を命じたり、クリスマス用品がふたたび輸出されるようになります。
日本独自のクリスマスへ
銀座では1947年(昭和22年)に歳末大売出しと、クリスマスの飾りが復活しました。
1950年(昭和25年)には、「不二家」がクリスマス・デコレーションケーキを製造しました。戦前から続いていた砂糖や小麦の物質統制が解除され作ってみたところ、ヒットしたようです。
また、キャンディーやチョコレートなど色々なお菓子が詰め込まれたブーツも子どもに大人気で、現在もたくさんの種類が売られていますが、これも日本独自のクリスマスのお菓子で、昭和22年頃から売り出されました。
1970年代から、女性雑誌などがクリスマスのデートスポットとして教会の紹介を始めます。さらに80年代になると、現在でもクリスマスの時期になると必ず耳にするクリスマスソングと共に「クリスマスエクスプレス」のCMが放映されます。それ以降、クリスマスは家族ではなく、友達や恋人と過ごす特別な日といった考え方が、若者を中心に広まっていきました。
まとめ
日本では、宗教行事としてではなく、季節の行事としてクリスマスは楽しまれてきたことが分かったと思います。
クリスマスの日は、家族または恋人や友達など、身近にいる大切な人と一緒に過ごし、人とのつながりを大事にして欲しいと思います。日本独自のクリスマスを楽しんで、皆さん素敵なクリスマスをお過ごしください。