3月

お彼岸のもともとの意味は?お墓参りやお供え物についてなどお彼岸について解説します。

「暑さ寒さも彼岸まで」とよく耳にし、「そろそろ暖かくなるかな~」とか「やっと暑さから解放されるかな~」とか、お彼岸を季節の指標として意識している人も多いのではないでしょうか。

でわ、そもそも彼岸とはどういう意味があり、どういった日なのでしょうか。お彼岸について詳しく解説していきます。

お彼岸とは?

彼岸とは、日本の雑節の一つで、春分・秋分を中日として、前後それぞれ3日を合わせた各7日間のことです。

例えば、春分の日が3月21日の場合、彼岸の入りが3月18日、彼岸明けが3月24日となります。

春分の日は年によって異なりますが、だいたい3月20日か21日になることが多く、お彼岸の中間日にあたるので「中日(ちゅうにち)」と呼ばれます。

彼岸とは、気候の変わり目に先祖の供養をしたり墓参りをしたりする、日本独自の行事です。

春分の日は、昼夜の長さが同じで太陽が真西に沈むため、仏教で西方遙かかなたにあるといわれる極楽浄土にちなんで、この日に仏事が行われるようになりました。

お寺では、彼岸会といわれる法要が行われ、読経・説法などをします。

もともとの彼岸の意味は?


彼岸という言葉は、サンスクリット語の「波羅蜜多」からきており、仏教用語で向こう岸という意味で、一切の悩みを捨て去って悟りの境地に達することを言います。

しかし欲と苦に満ちた迷いの世界である『此岸(しがん)』にいる者が、向こう岸(彼岸)へ渡るには、六波羅蜜の徳を積むための修行が必要です。インドや中国では、仏の世界へ行けることを願って、七日間の修行がさかんに行われていました。

六波羅蜜には六つの修行があり、六度彼岸や六度とも呼ばれます。

◆布施 ふせ
人のために見返りを求めずに様々な施しをさせていただくことです。
金銭や物品を他人に施す物質的な布施を財施、
仏様の理想とする教えを説き、迷い悩む人を救い、悟りの世界へと導く施しを法施
人の悩みや恐れを取り除き安心を与える布施を無畏施といいます。

◆持戒 じかい
戒律をよく守り、常識を持って自らを戒め、自分自身を高める努力をすることです。

◆忍辱 にんにく
他に対して寛容であり、他から与えられるどんな困難にも耐え忍び、つねに静かな心を保つことです。

◆精進 しょうじん
不断の努力をいいます。目的に向かってひとときも休むことなく、無駄にすることなく、日々努力し続けることです。

◆禅定 ぜんじょう
なにがあっても迷ったり動揺したりせず、つねに安定した心を持ち、第三者の立場で自分自身を見つめることを
いいます。

◆智慧 ちえ
物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力。
布施・持戒・忍辱・精進・禅定の修行を経て、物事のありのままのすがたを見きわめ、いろいろな出来事に対しても、
自我の執着から離れて、真理を見極めることのできる深い心のはたらきをいいます。

先祖供養の風習へ変化した理由は?

これが日本に伝わると、先祖供養の風習へと変化しましたが、その理由については定説がありません

一説には、聖徳太子が仏教信仰を広めるために日本古来の祖先を敬う祭りと彼岸を結び付けたのではないかと言われています。


六波羅蜜が、平安時代に先祖崇拝の行事へと変化し、江戸時代になると、それが一般庶民にも広まっていったようです。

お墓参りについて

お墓参りには、ろうそく、お線香、マッチ(ライターなど)、お花、お供え物を持って行きます。(掃除用具も忘れずに!!)

お彼岸には自宅のお仏壇、仏具の掃除をして、それからお墓参りをします。お墓参りの際にはまず、墓石や墓石周辺の掃除もしっかり行います。

お供え花

供花は、以前は『樒(シキミ)』がよく使われていました。邪気を寄せ付けないと考えられているため、神事や仏事でよく使用されることが多く、神社やお寺で植栽されていたりします。

最近は、四季折々の花や、故人が好きだったお花をお供えすることが多いようです

お供え物

お供え物は、お菓子や果物、故人の好きだったもの等をお供えします。お菓子や果物は直接置かず、二つ折りした半紙の上に置きます。

そしてお彼岸に欠かせないものと言えば、ぼたもちですが、春は牡丹の花にちなんで「牡丹餅」と言い、秋は萩の花にちなんで「おはぎ」と言います。
ぼたもちとおはぎの違いですが、「春のぼたもち」は「こしあん」、「秋のおはぎ」は「つぶあん」を使います。

また、大きさにも一説あり、春は牡丹の花のように大きく丸く、秋は萩の花のように小さく上品に俵型と言われているようです。

そのほかにも、長野県では天ぷら饅頭、岩手県や青森県などではお彼岸団子をお供えするのが一般的で、地域によっても違うようです。

まとめ

季節の変わり目である年に2回のお彼岸は、お墓参りをして亡くなった人々を偲んでみてはいかがでしょうか。お墓が遠くなかなかお参りに行けない人も、先祖への感謝の気持ちを持つことが大切だと思います。

そして向こう岸へと渡れるように、六波羅蜜の徳を積む生活を日々意識していきたいですね。